山の中に突然現れる、巨大な赤レンガの4連アーチ。
道路橋のようにも見えますが、かつてこの橋の上を列車が走っていました。
群馬県安中市の碓氷峠 めがね橋とアプト式鉄道は、日本の鉄道が急峻な山を越えるために試行錯誤した歴史を今へ伝える場所です。
9月22日、火曜日の「日本の魅力」は、列車が走らなくなった線路跡を自分の足で歩きながら、明治時代の鉄道技術をたどります。
なぜ、これほど巨大なレンガ橋が山奥に必要だったのでしょうか。
その答えは、横川と軽井沢の間に立ちはだかった「急勾配」にあります。
📌 この記事でわかること
・碓氷峠のめがね橋が造られた理由
・最大66.7‰という急勾配がどれほど険しいのか
・「アプト式」が列車を山へ登らせる仕組み
・1893年に横川―軽井沢間が開通した意味
・1912年に早くも電化された理由
・旧丸山変電所が果たした役割
・廃線跡「アプトの道」の歩き方
・2026年9月22日に訪れる際の注意点
🚂 碓氷峠は鉄道にとって大きな難所だった
現在は高速道路や新幹線を利用すれば、山を越えること自体をあまり意識しないかもしれません。
しかし、明治時代に鉄道を敷こうとすると、碓氷峠は大きな壁になりました。
横川と軽井沢の間には大きな標高差があり、旧碓氷線では最大**66.7‰(パーミル)**という急勾配を越えなければなりませんでした。
66.7‰とは、1000m進む間に約66.7m高さが変わる勾配です。
普通の鉄道車両は、車輪とレールの摩擦だけで走ります。
ところが坂が急になるほど、登る力を伝えにくくなります。
そこで碓氷峠では、普通の鉄道とは異なる仕組みが必要になりました。
⚙️ 「アプト式」は歯車で山を登る鉄道
そこで採用されたのがアプト式です。
通常の2本のレールの中央へ、歯が付いた「ラックレール」を設置します。
そして車両側の歯車「ピニオンギア」をラックレールへ噛み合わせます。
つまり、
車輪の摩擦だけで登るのではなく、
歯車同士を噛み合わせながら急坂を登る
という仕組みです。
現在では珍しい方式ですが、当時はヨーロッパの山岳鉄道などで利用されていました。
日本でも碓氷峠の険しい地形を克服するため、この方式が採用されました。
安中市の資料によると、横川―軽井沢間11.2kmの碓氷線は1893年4月にアプト式鉄道として開業しています。
山を避けるのではなく、
鉄道技術で山を越える。
碓氷峠は、そんな明治時代の挑戦を見ることができる場所です。
🌉 1892年完成|山に残る巨大な「めがね橋」
碓氷峠を象徴する建造物が、
碓氷第三橋梁
です。
一般には「めがね橋」の愛称で親しまれています。
建設が始まったのは1892年4月。
同年12月に完成しました。
特徴は、谷をまたぐ4連のレンガアーチです。
川底からの高さは約31m。
橋の下から見上げると、山の斜面の間へ巨大なレンガ壁が立っているように感じられます。
現在は列車が通る鉄道橋ではありません。
しかし橋の上には、旧線跡を利用した遊歩道「アプトの道」が通っています。
そのため、
下から橋の巨大さを見る。
そして階段を上り、かつて列車が走った高さへ立つ。
という二つの見方ができます。
橋上までは123段の階段があります。
写真だけを見ると平らな観光地に見えるかもしれませんが、実際には高低差があります。
歩きやすい靴で訪れたい場所ですね。
🧱 美しいレンガ橋は「景観のため」に造られたのではない
めがね橋は現在、美しい歴史的建造物として知られています。
しかし、もともとの目的は観光ではありません。
鉄道を通すためです。
急峻な谷を越えながら、列車を安全に軽井沢方面へ運ぶ。
その実用上の課題に応えるため、橋梁やトンネルが連続して造られました。
現在残る旧碓氷峠鉄道施設には、レンガ造りの橋梁や隧道などがあり、国の重要文化財に指定されています。
美しい4連アーチも、
必要な機能を突き詰めた結果として生まれた景観
と考えると、見え方が少し変わります。
⚡ 1912年には「幹線鉄道初」の電化へ
碓氷峠には、もう一つ日本の鉄道史で重要な出来事があります。
電化です。
蒸気機関車で急勾配のトンネルを走れば、煙や蒸気が大きな問題になります。
さらに、輸送力を高める必要もありました。
そこで碓氷線では、1912年に電気機関車による運転が始まります。
安中市は、これを国有鉄道の幹線で初めての電化として紹介しています。
高崎―横川間が電化されるよりも約半世紀早い時期でした。
「山奥だから技術が遅れていた」のではありません。
むしろ、
条件が厳しかったからこそ、新しい鉄道技術が早く導入された。
碓氷峠の面白さはここにもあります。
🏭 電気機関車を支えた「旧丸山変電所」
電気機関車を走らせるには、線路だけでは足りません。
電力を供給する設備も必要です。
その役割を担った施設の一つが旧丸山変電所です。
現在のアプトの道を横川側から歩くと、赤レンガの建物が見えてきます。
旧丸山変電所は碓氷線の電化に合わせて建設され、1912年から運用されました。
機械室では交流6600Vを直流650Vへ変換。
蓄電池室には312個の蓄電池が設置され、列車が急坂を登る際に必要な電力を補いました。
つまり、
めがね橋が「列車を通す構造物」なら、
旧丸山変電所は**「列車を動かすエネルギーを支えた施設」**だったのです。

🚶 廃線跡そのものを歩ける「アプトの道」
碓氷峠の鉄道遺産が面白いのは、
「橋を一つ見て終わり」
ではないところです。
信越本線の旧線跡は現在、遊歩道アプトの道として整備されています。
横川駅付近から熊ノ平まで約6.3km。
途中には、
旧丸山変電所。
トンネル。
碓氷湖。
めがね橋。
熊ノ平。
などが続きます。
安中市公式案内では、横川から熊ノ平までの往路が約125分、復路が約96分の目安です。
往復すれば12kmを超えるため、
「観光スポットを少し見る」
という感覚より、しっかり歩くハイキングに近くなります。
全部歩かなければいけないわけではありません。
めがね橋周辺だけを見る。
横川から旧丸山変電所まで歩く。
途中まで歩いて引き返す。
体力や時間に合わせて区間を選ぶ方が安心です。
🔦 トンネルは18時より前に通過したい
アプトの道では、昔の鉄道トンネルも歩きます。
トンネル内部には照明がありますが、安中市によると点灯時間は7:00〜18:00です。
18時以降は照明が消えます。
また、めがね橋そのものは24時間見学可能とされていますが、周辺には街灯がなく、日没すると非常に暗くなります。
そのため、
「いつでも見られる=夜でも安心して歩ける」
という意味ではありません。
特に9月下旬は少しずつ日没が早くなっていきます。
明るいうちに散策を終えられる計画がおすすめです。
🌿 9月下旬はまだ「紅葉のめがね橋」ではない
めがね橋といえば、レンガ色の橋と紅葉を組み合わせた写真も有名です。
しかし9月22日頃は、通常はまだ周辺の木々に緑が多く残る時期です。
記事やSNSで見た晩秋の紅葉写真を想像して訪れると、景色が違う可能性があります。
一方で、緑に包まれた赤レンガ橋は、建造物の輪郭がはっきり見えます。
秋本番だけを正解にせず、
その時期の山の姿と鉄道遺産を見る
という楽しみ方をしたいですね。
🚂 2026年9月22日は鉄道文化むらが通常休園日
横川駅近くには碓氷峠鉄道文化むらがあります。
EF63形電気機関車など、碓氷峠と鉄道の歴史を知るうえで興味深い施設です。
ただし、ここは日付に注意が必要です。
2026年9月22日は火曜日。
公式案内では、8月を除き毎週火曜日が定休日です。
そのため、9月22日は通常スケジュール上では休園日に当たります。
通常の3月1日〜10月31日の営業時間は9:00〜17:00、最終入園16:30。
一般入園料は2026年現在900円です。
鉄道文化むらも一緒に見学したい場合は、火曜日を避ける日程を考えた方がよいでしょう。
臨時営業などが行われる可能性もあるため、旅行直前には公式サイトで最新情報を確認してください。
👟 アプトの道を歩く服装
今回の旅では、景色を見る時間より「歩く時間」が長くなる可能性があります。
そのため、
滑りにくいスニーカー。
歩きやすいパンツ。
体温調節しやすい薄手の羽織り。
飲み物。
があると安心です。
また安中市では、めがね橋周辺の見学について虫よけや熊対策も案内しています。
山の中にある文化財だからこそ、
町中の博物館とは違った準備が必要です。
さらにアプトの道では、自転車に乗ったまま走行することはできません。
文化財と自然環境を守りながら、安全に歩きたいですね。
🗺️ 初めてなら「横川→丸山→めがね橋」で鉄道史がつながる
時間と体力に余裕があるなら、横川側から歩くと歴史を順番に理解しやすくなります。
まず横川。
次に旧丸山変電所。
トンネルを抜けながら山へ入り、
そして巨大なめがね橋へ。
さらに進めば熊ノ平があります。
最初に巨大な橋だけを見るより、
鉄道がどのように山へ入っていったのかを自分の足で追う
ことができます。
ただし横川から熊ノ平まで全区間を往復すると長距離になります。
短時間なら、車でめがね橋駐車場まで行く方法もあります。
公式案内では、駐車場からめがね橋までは徒歩約5分。
普通車22台分が用意されています。
📚 人の技術が地形へ挑んだ日本をもっと読む
人が難しい地形へ向き合って造ったものは、鉄道だけではありません。
兵庫県の竹田城跡では、山頂という厳しい場所へ壮大な石垣が築かれました。

また、京都府・伊根では、海のすぐそばで漁業を営むために独特の舟屋建築が生まれました。

山城。
舟屋。
鉄道橋。
用途はまったく違います。
しかし共通しているのは、
土地の条件へ合わせて、人が技術を工夫してきたこと。
景色の背景にある「なぜ」を知ると、日本の建造物はもっと面白く見えてきます。
🌿 「日本の魅力」シリーズについて
このシリーズでは、有名な場所の写真だけでは分からない、
なぜ造られたのか。
どんな技術が使われたのか。
現在はどのように残されているのか。
そして訪れる前に何を知っておくべきなのか。
まで一緒に見ていきます。
次に大きな橋やトンネルを見る機会があれば、
「どうして、ここに必要だったのだろう?」
と少しだけ考えてみてください。
🕊️ 終わりに|めがね橋は「山を越えたい」という挑戦の跡
碓氷峠のめがね橋は、
ただ美しいレンガ橋ではありません。
66.7‰という急勾配。
ラックレールと歯車を使ったアプト式。
山を貫くトンネル。
列車へ電力を送った変電所。
それらが一つにつながり、
横川と軽井沢を鉄道で結びました。
そして現在は、列車の代わりに私たちがその廃線跡を歩くことができます。
列車が走っていた時代には、
「目的地へ向かうための線路」
だった場所。
今は、
鉄道が山を越えるために積み重ねた技術を知る道
へ変わりました。
めがね橋の下から巨大なアーチを見上げたあと、橋の上へ立つ。
そこが、かつて線路だったと知る。
そうすると赤レンガの景色も、単なる写真映えする建築ではなく、日本の鉄道が一つの難所を越えた証として見えてきそうです🚂



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